言葉 |
2007/03/19(月) 23:59

こうやって、子供に本気になってくれる親っていいよね。
そして、こうやってこんな言葉を他人の子供に言える大人って格好いいね。
※画像をクリックすると元ネタへ飛べます。
ちなみに、こっちはネタVerみたい。
ごめん、結構ツボった。笑
■20億円を騙し取ったときのこと
言葉 |
2006/12/24(日) 23:59
878 名前: マジレスさん 投稿日: 04/03/01 12:14 ID:YKct7yMr
私の尊敬する数学の先生のお言葉を紹介します。
人の一生を時計一周24時間に例えたお話がある。
君達は夜中の0時に正にこの世に生まれた。この世に生を受けた。
人の寿命を70歳くらいと考えたら、3年を一時間として、
朝6時、もしくは7時。君達はいまやっと朝を迎えたくらいでしかない。
大学をでて、社会にはいってちょっと経ってもまだまだ朝9時でしかないんだ。
社会ではまだまだ青くて到底使える人材でもない。
楽しみに満ちながら君たちの成長をみてきた君たちのお父さんやお母さんは
君たちが自分の時計で朝の2時や3時の頃、もう既に昼の2時や3時になっていたんだ。
今はどうだろう。もう夕方5時、いや6時を過ぎているかもしれない。
今から彼らはやり直しがきくだろうか。あと6時間も無いのだ。人生は6時間も無いのだ。
日は沈んでしまったのだ。
では君達はどうだろう。みんなまだまだ朝6時や7時じゃないか。
やり直しなんていくらでもきく。何回やり直したって、朝8時くらいでしかないじゃない。
一番悲しいことは、ここで自分の時計を無理やり止めてしまうことなんだ。
可能性はまだまだ秘められているのに、まだまだ一日はこれからなのに、
太陽の燦々とあたる昼に向けて準備をする時間でしかないのに、
自分の時計を止めてしまうことなんだ。
私の尊敬する数学の先生のお言葉を紹介します。
人の一生を時計一周24時間に例えたお話がある。
君達は夜中の0時に正にこの世に生まれた。この世に生を受けた。
人の寿命を70歳くらいと考えたら、3年を一時間として、
朝6時、もしくは7時。君達はいまやっと朝を迎えたくらいでしかない。
大学をでて、社会にはいってちょっと経ってもまだまだ朝9時でしかないんだ。
社会ではまだまだ青くて到底使える人材でもない。
楽しみに満ちながら君たちの成長をみてきた君たちのお父さんやお母さんは
君たちが自分の時計で朝の2時や3時の頃、もう既に昼の2時や3時になっていたんだ。
今はどうだろう。もう夕方5時、いや6時を過ぎているかもしれない。
今から彼らはやり直しがきくだろうか。あと6時間も無いのだ。人生は6時間も無いのだ。
日は沈んでしまったのだ。
では君達はどうだろう。みんなまだまだ朝6時や7時じゃないか。
やり直しなんていくらでもきく。何回やり直したって、朝8時くらいでしかないじゃない。
一番悲しいことは、ここで自分の時計を無理やり止めてしまうことなんだ。
可能性はまだまだ秘められているのに、まだまだ一日はこれからなのに、
太陽の燦々とあたる昼に向けて準備をする時間でしかないのに、
自分の時計を止めてしまうことなんだ。
言葉 |
2006/09/26(火) 23:59
人は楽しいとき、ハハッと笑う(
×
=
)。人は悲しいとき、シクシクと泣く(
×
=
)。
+
=

。すなわち、楽しいことが

%あって、悲しいことが
%あるのが人生なんだ。ぁゃιぃ(*゚ー゚)NEWS 2ndより。
色々と突っ込みたいことはあるけど、そりゃ野暮ってもんだね。笑
言葉 |
2006/09/06(水) 10:08
あんな子に
著者:六笠由香子
病院の待合室で孫を連れた婦人に声をかけられた。「あなたお子さんは?」。突然何? いないと答えると「アラ幸いね。息子なんて育てても割に合わないわ」とため息をつく。
息子も嫁も自分に冷たく、孫の世話はちゃっかり頼むと言う。延々と彼らの悪口を聞かされている間中、孫は読書。ウンザリしながら聞いていると孫が本に何か書き始めた。見れば図書館の本よ。しかし祖母は「勉強熱心ね」だと。オイオイ。
そのとき祖母は呼ばれて診察室へ。彼女の留守に私は孫に優しく諭した。図書館の本は自分の物ではないから汚しちゃダメよと。孫は無反応で、診察室から出てきた祖母に「オバサンに本を汚すなって怒られた」と報告。彼女は私を睨(にら)んで行っちまった。いやはや。
孫に人の道も教えない不満だらけの女に「子供がなくて幸い」と言われてもなあ。こういう勝手な人に出会うことが最近多いんでありますよ、私。
「あんな子がうちの子だったら」。今、そこら中で聞かれる言葉。早実の斎藤佑樹投手のことだ。私も「親御さんは素敵(すてき)な人なんだろうなあ」と思う。子は親の鏡、そして孫は祖父母の鏡ざんしょ。
「あんな子が」と言う前に「あんな子に」育ててくださいな。このままじゃ自然による日本沈没を待つ前に、日本人が沈没するぞ。(フリーライター)
毎日新聞 2006年9月2日 東京朝刊
参考
■毎日新聞
著者:六笠由香子
病院の待合室で孫を連れた婦人に声をかけられた。「あなたお子さんは?」。突然何? いないと答えると「アラ幸いね。息子なんて育てても割に合わないわ」とため息をつく。
息子も嫁も自分に冷たく、孫の世話はちゃっかり頼むと言う。延々と彼らの悪口を聞かされている間中、孫は読書。ウンザリしながら聞いていると孫が本に何か書き始めた。見れば図書館の本よ。しかし祖母は「勉強熱心ね」だと。オイオイ。
そのとき祖母は呼ばれて診察室へ。彼女の留守に私は孫に優しく諭した。図書館の本は自分の物ではないから汚しちゃダメよと。孫は無反応で、診察室から出てきた祖母に「オバサンに本を汚すなって怒られた」と報告。彼女は私を睨(にら)んで行っちまった。いやはや。
孫に人の道も教えない不満だらけの女に「子供がなくて幸い」と言われてもなあ。こういう勝手な人に出会うことが最近多いんでありますよ、私。
「あんな子がうちの子だったら」。今、そこら中で聞かれる言葉。早実の斎藤佑樹投手のことだ。私も「親御さんは素敵(すてき)な人なんだろうなあ」と思う。子は親の鏡、そして孫は祖父母の鏡ざんしょ。
「あんな子が」と言う前に「あんな子に」育ててくださいな。このままじゃ自然による日本沈没を待つ前に、日本人が沈没するぞ。(フリーライター)
毎日新聞 2006年9月2日 東京朝刊
参考
■毎日新聞
生きていれば自分が他人にどう推し量られているか気になることもあるだろう。(この場合の他人は近い友人を意味しない。もっと広い見地での他人だ。) そんな時、俺が一つの解釈の目安として見るものがある。それは自分の周りの友人を見ることだ。日本の諺に「類は友を呼ぶ」(意味:似かよった傾向をもつ者は自然と集まるものである。)という言葉があるが、その言葉の存在は決して伊達ではないと考えている。似たような考え、似たような趣味、似たような性格、似たような人生、似たような目的と言った何か共通の物事を主体に会話が弾み、コミュニケーションを人は図るわけだから。私は彼女とは違う、僕は彼とは違うと考えていても、共通点が皆無であればまともな関係を築き上げることはできないと思う。さて、上記のことを大前提に改めて自分の親しい友人を見たらどうだろうか。「言葉遣いが良い」、「言葉遣いが悪い」、「品がある」、「下品である」、「賢そう」、「愚かだ」、「優しい」、「冷酷だ」といった事柄が色々でてくることだろう。もし、あなたが「品のある人間」と付き合っているならば他人もあなたのことをそう捉えていることだろう。もしあなたが「品のない下品な人間」と親しくしているなら、もしかしたらあなた自身は言葉遣いがよく品のある人間だとしても、あなたの事を何も知らない周りの人間からはあなたのことも「品のない下品な人間」だと思われているのかもしれない。
では、そう思われない為にはどうするべきだろうか。眼鏡でもかけて賢さをアピールしてみるか。そんなこと実質的に何の意味もないことはよっぽどの愚か者でもなければ理解できるだろう。俺は友人を選ぶことを薦める。別に他人にどう思われるかなんて、そんなことばかり気にしろという意味ではないが、最低限自分の尊厳や自尊心を保つという意味でも心から人に自慢できるような人間と付き合ったほうがいいに決まっている。自慢できる内容は別にお金持ちだとか、学力が高いとかそんな必要はない。他人に、主に自分よりの目上の人間に紹介したときに失礼のない行動ができ、失礼のない言葉遣いが出来るような人間であれば良い。そんな人間を友人に選べばあなた自身の自尊心を保つこともでき、社会的な評価も上がることだろう。ただ、そんな人間と付き合いたいのであれば、あなた自身も言葉遣いであったり、行動を改める必要があるかもしれない。
文章はあくまでも考え方の一つと捉えてくれればいい。